この記事は、水木しげるの『総員玉砕せよ!』を紹介しています。
この作品は、戦争体験を基にした水木しげるの集大成です。軍隊生活の不条理と過酷さがユーモアを交えてリアルに描かれている。戦争の恐ろしさと無意味さを描いた傑作戦記漫画で、国際的にも評価された作品です。ぜひ一度読んでみてください。
作品紹介
あらすじ
水木しげるがモデルの主人公・丸山二等兵は、パプアニューギニアのニューブリテン島の前線に配属されます。仲間は餓死や病気、米軍の攻撃で次々と倒れ、上官からは理不尽な暴力を受けながら、ジャングルで過酷な日常を送ります。挙句の果てに「玉砕」の命令が下され・・・・・・。
前半部分は、水木が体験した軍での日常。後半部分は、水木が左腕を失い、離脱したのちに所属していた支隊にあった実話(玉砕)という構成になっている。最後の部分に関しては、作り替えられたお話です。
目次
- ニューブリテン島 ココボ
- バイエンの雨
- 重労働とビンタ
- 小指
- 正月
- 敵上陸
- 斬込隊
- 本陣地の一角くずれる
- 本田軍曹の死
- 玉砕
- その夜のこと
- 聖ジョージ岬
- 死の使者
- みなごろしの岬
- あとがき あの場所をそうまでにして……
- 解説 足立倫行
- 特別収録 『総員玉砕せよ!』構想ノート
- 新解説 発見された構想ノートを読んで 足立倫行
※特別収録と新解説は、2022年に発売された講談社文庫版にのみ収録されています(2024年6月時点)。1995年に発売された講談社文庫版には収録されていません。なお、ここで紹介しているのは2022年版です。※作品自体は、1973年に発表された。
[感想]戦争の無意味さ、悲惨さを知る
『総員玉砕せよ!』を読んでいると、命をかけてまで一体何をやらされているのだろうと思いました。ジャングルでの死ぬか生きるかのサバイバル。上空からはアメリカ軍の襲撃。病気や栄養失調、ワニに食べられるなど、いろんな理由で次々と死んでいきます。
「参謀どの とうてい勝ち目のない大部隊にどうして小部隊を突入させ 果ては玉砕させるのですか」
引用元:新装完全版284ページより
この人たちは、何のために死んだのだろうか。誰がそれで幸せになるのだろうか。悲しみしか生まれません。最後には、上官から「死ね」と言われ玉砕もしくは自決に追い込まれる。本当にこの人たちは命を賭けて何をしているのか、考えさせられました。
ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。
――水木しげる
引用元:新装完全版361ページより
新装完全版の特別収録について
構想ノート
2021年に『総員玉砕せよ!』の構想ノートが発見され、その一部が2022年に発売された『新装完全版』に約20ページにわたり掲載されています。
このノートには、水木しげるの「決意」が記されていました。娘さんによれば、一つの作品に対して一冊のノートを作ったことはなかったそうです。このことからも、水木しげるがこの作品にかけた思いの強さがうかがえますね。
記録は、ここの石と木だけが知っている。
いまここに書きとどめなければ 誰も知らない間に葬り去られるであろう――水木しげる
引用元:新装完全版372ページより
新解説
『総員玉砕せよ!』は90%が事実だと、水木しげるのあとがきには書かれています。
しかし、構想ノートと実際の作品を比較すると、漫画にする過程で多少の変更が加えられていることがわかります。それでも、実体験に基づいた作品であることに変わりはありません。新装完全版の解説では、構想ノートと実際の作品の違いが詳しく説明されています。
水木しげるは、「玉砕作戦」に参加していない。
支隊からの離脱
水木しげるは「玉砕事件」が起こる前にマラリアにかかり、その後、野戦病院に送られ、支隊からは離脱。それから、爆撃を受けて左腕を失いました。玉砕には参加していません。
玉砕事件の詳細調査と戦後の取材
戦争が終わり、半年間滞在したラバウルの収容所で、水木は仲間から玉砕事件の詳細を聞いたのだそうです。帰国後も情報収集を続け、松浦義教元参謀の著書『灰色の十字架』から全体像を理解しました。さらに、戦後にニューギニアを再訪した際には、現地での取材も行っていたのだそうです。
水木の驚異的な描写力
『総員玉砕せよ!』を読んだ、同じ支隊にいた宮一郎元軍曹は、水木が現場にいなかったはずなのに、描写があまりにも正確で驚いたそうです。
それだけ、水木しげるはこの作品を描くために入念な調査と取材を行ったということですね。
水木は、わけのわからぬまま戦場に放り込まれ生死をさまよった一兵士として、『ラバウル戦記』のマンガ作品化をどうしてもやり遂げなければならなかった。それが『総員玉砕せよ!』だった。
――足立倫行
参考書籍:妖怪と歩く: 評伝・水木しげる (文藝春秋単行本版)
理解を深めるための資料
娘に語るお父さんの戦記
水木しげるが徴兵されるところ~戦後の日本での生活。そして、戦後30年を経て、ラバウル再訪までが語られています。
1975年に発表された作品です。タイトル通りで娘さんに語る口調で、書かれています。読書感想文の題材に、ちょうど良いかもしれません。
※漫画では、ありません。※水木自身の実体験です。
水木しげるのラバウル戦記
戦争体験の記憶が鮮明な時期(戦後4~6年後)に描いた絵に、後で文章が添えられた戦争体験記です。日本から戦地へ出発するところから、戦争が終わって戦地を去るところまでが書かれています。
1994年に発表されました。文章は、新たに書き下ろされたものです。
※漫画では、ありません。※水木自身の実体験です。
ニューブリテン島ズンゲン支隊の証言
水木しげるのいたズンゲン支隊の生き残りの方(登場人物のモデルの人たち)が証言した45分程度の番組が、NHKアーカイブスで無料で公開されています。理解を深めるために、一度視聴することをおすすめします。
※2010年に放送されたもので取材時は、終戦して65年。証言の記憶があいまいだったり、記憶違いな内容がある可能性もあります。
私の身内の戦争体験
私の身内の話
私の父方の祖父と母方の大叔父も、水木しげるのように南の激戦地へ行きました。今は二人とも亡くなりましたが、本人から直接聞いた話を親から聞いたので、記録として書きたいと思います。
二人とも、水木しげるが『総員玉砕せよ!』で描いた内容と同じような体験をしています。
祖父の場合
私の祖父は大正10年生まれです。水木しげると同じく、太平洋戦争時にニューブリテン島の激戦地に行っていたそうです。水木しげるは陸軍でしたが、祖父は海軍でした。
祖父はヤシの木に登っていた時、敵襲があり、九死に一生を得たそうです。
他にも、祖父は缶詰を盗んだと濡れ衣を着せられ、上官に鞭で死ぬほど打たれたことがあったそうです。
この話は私も直接、祖父から聞いたことがあります。小学生の頃、戦争体験を聞く宿題で祖父に話を聞いたのです(今では考えられないような宿題ですね)。
大叔父の場合
どの戦地かは分かりませんが、大叔父は太平洋戦争時に南方に行っていたそうです。
そこでマラリアにかかりました。全身が震え、その震えを止めるために布団を何重にも重ねて抑え込まれたそうです。まともな薬も無かったはずです。その時の後遺症に後年も苦しんだそうです。
また、日本に帰るときには部下に物を盗まれたりもしたそうです。大叔父は、位の高い上官だったと聞いています。
映画『鬼太郎誕生ゲゲゲの謎(ゲ謎)』にハマッた人へ!
読むキッカケにしてほしい
ゲ謎で水木しげる作品に興味を持った人は、ぜひ『総員玉砕せよ!』を読んでいただきたいです。
今は、もうリアルな戦争体験を見聞きするチャンスは、あまりありません。この漫画で戦争のことをゼヒ知ってほしい!
キャラクター「水木」の背景を知るために!
ゲ謎の水木は、玉砕特攻を命じられた人物です。水木の背景を知る資料としていかがでしょうか?
水木しげるの戦記漫画
水木しげるは、他にも戦記物を描いています。
[エッセイ]『総員玉砕せよ!』に見る祖父の戦争体験
感想エッセイを書きました。こちら(note)からお読みいただけます。
まとめ
朝ドラ『ゲゲゲの女房』でも、水木しげるのバナナ好きが何度か描かれていたと思いますが、『総員玉砕せよ!』でもバナナが登場します。
この作品を読むと、水木しげるが熟しきった黒くて甘いバナナを好んだ理由がなんとなくわかるような気がします。
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