この記事は、森鴎外の『高瀬舟』を紹介します。
『高瀬舟』は、森鴎外が描いた歴史小説の一つで、江戸時代の司法や人情を深く掘り下げた作品です。短編ながらも重厚なテーマを扱っており、読み進めるうちに登場人物たちの心の葛藤が浮き彫りにされていきます。
本記事では、『高瀬舟』のあらすじやその魅力について詳しく紹介しますが、注意点として、物語の後半にはややグロテスクな表現が含まれていますので、敏感な方はご留意ください。
※漫画では、ありません。
作品紹介
あらすじ
江戸時代の京都を舞台に、罪人を護送する船「高瀬舟」に乗せられた喜助と、彼を護送する町奉行所の同心・羽田庄兵衛の物語が展開されます。
物語は庄兵衛の視点で進行し、ある日彼は「弟殺し」の罪で護送されることになった喜助を担当します。護送の途中、庄兵衛は喜助に罪を犯した経緯を尋ね、その驚くべき事実を知ることになります。喜助は、病に苦しむ弟から「楽にしてほしい」と懇願され、弟の苦しみを終わらせるために弟を殺す決断をしたと語ります。庄兵衛はその詳細を聞いた後、喜助が本当に「弟殺し」なのか疑問に思いました。
おもな登場人物
喜助
高瀬舟で護送される、三十歳ほどの罪人。幼少期に両親を亡くし、弟と共に暮らしていたが、弟を手にかけた罪で流刑となり、護送中にその経緯を語る。
喜助の弟
兄の喜助と共に西陣の織場で働いていたが、病弱で生活の苦しさが原因で病状が悪化。体が動かせなくなり、罪悪感を抱えていた。
羽田庄兵衛
喜助を護送する四十手前の役人で、四人の子供、妻、母を養っている。妻はもともと裕福な商人の娘で、金が足りなくなると節約ができずに実家から時折(内緒で)援助を受けている。そのことについて、庄兵衛はよく思っていない。
作品解説
作者について
森鴎外(本名:森林太郎)は、島根県出身の小説家であり、陸軍軍医としても活躍しました。東京大学で医学を学んだ後、4年間の留学。近代日本文学を切り開き、代表作には『舞姫』や『高瀬舟』などがあります。後期には歴史小説を多く執筆しました。
テーマ(作者が伝えたいこと)
『高瀬舟』の中心的な主題は「足るを知ること」と「安楽死」の二つのテーマが絡み合っていますが、より核心に迫るのは「足るを知ること」です。
「足るを知ること」
これが作品の中心テーマです。喜助は自分の現状に満足し、余分なものを求めない姿勢を持っています。彼の生き方が「足るを知ること」の重要性を示しています。
不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知っていることである。(引用元:角川版84ページより)
「安楽死」
「安楽死」の問題は、「足るを知る」テーマの一部として扱われています。喜助が弟を安楽死させることで、彼の死生観や価値観、考え方が見えてきます。
自由な読み方
『高瀬舟』の主題としては、一般的に「足るを知る」と「安楽死」が中心だとされています。これは森鴎外が『高瀬舟縁起』で詳しく解説しているところで、彼は基となった随筆集『翁草』で読んだ高瀬舟のエピソードから、これら二つの大きなテーマを見出したのです。しかし、読者の視点によっては、この物語からもっと多様なテーマが見えてくるかもしれません。
たとえば、「生と死の価値(死生観)」や「倫理と道徳」といったテーマも、読み方次第で浮かび上がってくるでしょう。もしかすると、ある読者にとっては、「安楽死」が作品全体の軸となるテーマとして強く印象に残るかもしれませんし、他の読者にとっては、庄兵衛や喜助の生き方そのものが人生の深い問いかけに感じられるかもしれません。
このように、『高瀬舟』は読み手次第で数多くの解釈の余地を持つ作品です。どのテーマが最も心に響くかは、読者それぞれの感性によって決まるのです。
喜助の生き方と「足るを知る」
簡素な生活への満足感
喜助は、貧しいながらも自分の生活に満足し、他人と比べることなく、自分に与えられた環境の中で幸せを見出していました。彼は、物質的な豊かさではなく、心の平安を重視する生き方を選んでいます。
この「足るを知る」姿勢こそが、彼の生き方の根幹を成しています。
弟を解放する決断
喜助は、苦しんでいる弟を見て、これ以上の苦痛を味わうことなく解放されることを最善と考え、弟を安楽死させました。この行為も、彼が「足るを知る」生き方をしていたからこそ、悔いなく決断できたのだと考えられます。
庄兵衛が感じた「足るを知る」
自分の生き方を振り返る庄兵衛
庄兵衛は喜助の話を聞きながら、「足るを知る」という価値観に気づかされます。彼はこれまで、物事に満足することなく、常に規範や他者の目を気にしながら生きてきました。
新たな視点での再認識
喜助の飾らない生き方や、簡素な中にも満足を見出す姿に触れることで、庄兵衛は「足るを知る」ことの大切さを再認識します。これは、彼にとって新しい視点であり、心に大きな影響を与えた瞬間だったでしょう。
「足るを知る」の現代的意義
喜助の「足るを知る」とは、物質的な豊かさに囚われず、与えられたものに満足する生き方を意味しています。彼が弟を苦しみから救い、わずかな報酬に喜びを感じる。この姿勢は、私たちが日常生活でどのように満足感を見つけるかについての大切な教訓を示しています。
[感想]『高瀬舟』に感じた安楽死と満足感の意義
安楽死の意味:救いの選択
喜助の弟が自らの死を選んだ理由は、兄を救いたいという強い願いからでした。解釈によっては、彼が「生きる」ことに対して満足を得られなかったことを示しています。ですが、安楽死を選んだことで彼は一種の救いを得ました。
しかし、この選択が弟にとって本当に最善だったのか、そしてその選択が喜助にどのような影響を与えたのかを考えると、非常に複雑な気持ちになります。
罪の問題についての思い
法律と物語の間にある葛藤
法律の観点から見ると、喜助の行為は確かに有罪かもしれません。しかし、物語を通じて感じたのは、最終的には「罪人はいない」ということです。弟の死は苦しみからの解放であり、喜助の行為は愛から来たものでした。
もしも罪人を作らなければならないのであれば、弟が自分の苦しみ(「病の苦しみ」から解放されたい。「兄の負担」を楽にしたいという二つの苦しみ)から解放されたいと望み、それが喜助を犯罪者にしてしまった点について責任があると考えます。
結果論で言えば弟の選択は、自分の苦しみから逃れるためのものであり、兄を犯罪者にしてしまったのですから。
罪の問題:本当に罪人なのか
罪人となってしまたものも喜助は、この結果に不満を抱えていません。この問題に対する答えは見つからないままであり、罪の問題は堂々巡りとなり、最終的には個々の解釈や感じ方によって異なる結論を出すしかない様に思います。森鴎外本人ももしかすると、この答えについては出せていないのかもしれませんね。
私は答えが見出せません。それも一つの解釈となるでしょう。
いろいろに考えて見た末に、自分より上のものの判断に任す外ないと云う念、オオトリテエ*1に従う外ないと云う念が生じた。(引用元:角川版92ページより)
おすすめの文庫
『高瀬舟』は、さまざまな出版社から刊行されています。主要な出版社である角川文庫、新潮文庫、ちくま文庫を比較したところ角川文庫が一番、優れていました。
おすすめポイント
収録リスト(目次)
[エッセイ]高瀬舟「足るを知る」から学ぶ――私とSNSとの距離感
『高瀬舟』を題材にSNSについてエッセイを書きました。こちら(note)からお読みいただけます。
まとめ
『高瀬舟』について、誤解されることがありますが、「尊厳死」ではなく、実際には「安楽死」です。尊厳死は、治療を中止して自然に死を迎えることを意味します。一方で、安楽死は意図的に命を終わらせる行為を指します。『高瀬舟』では、喜助が弟の苦痛を終わらせるために意図的に命を断つ行為をしているため、この物語は安楽死のケースに該当します。
一部の界隈では、『高瀬舟』は教科書BL(ボーイズラブ)と言われています。こういう視点から読んでみるのも面白いかも知れませんね。
書籍購入はこちらから
[PR]漫画全巻ドットコム [PR]総合電子書籍ストア【楽天Kobo】
[PR]楽天ブックス
*1:autoritフランス語。権威という意。