知る人ぞ知る本棚

新旧問わず、さまざまなジャンルの漫画を紹介しています。あらすじや読むポイント、情報をまとめてお届け。メジャーな作品よりもマニアックな作品を中心に紹介しています。

本ブログにはプロモーションが含まれています。

中沢啓治の『はだしのゲン』は、何を伝えたかったのか

はだしのゲン 中沢啓治

この記事は、中沢啓治の『はだしのゲン』を紹介しています。
作者自身の被爆体験をもとに描いた作品。原爆の悲惨さと戦後の苦難の中で強く生きる主人公ゲンの姿を描いています。
作品にはグロテスクなシーンもありますが、それでも目を背けずに一度は読んでいただきたい作品です。

作品紹介

あらすじ

主人公の中岡元は、小学2年生の9歳の少年。両親と4人のきょうだいと一緒に暮らしていました。戦争に反対し続ける父と優しい母、そしてきょうだいたちに囲まれ、貧しいながらも助け合って生活していた。しかし、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島に原爆が投下され、一家の生活は一変してしまいます。

おもな登場人物

中岡元

主人公。通称「ゲン」。原爆が投下された時に、父、姉、弟を一度に失ってしまうが母・君江やその後出会う仲間たちと共に、たくましく生きていきます。
モデルは作者自身であり、ゲンが女性に呼び止められて助かったエピソードは作者の実体験に基づいています。

中岡大吉

ゲンの父。原爆が投下された時に死んでしまったが、ゲンの生き方や人格に大きな影響を与えた。回想シーンで何度も登場します。

中岡君江

ゲンの母。原爆が投下された時にベランダで洗濯をしていたため、運良く助かった。その後、4年後に亡くなる。彼女の死因は原爆症による胃癌でした。

「ゲン」が被爆した場所

  • 旧・神崎国民学校(作中では神山国民小学校

爆心地から直線距離で1.2kmの場所で被爆。当時の学校の場所は、今の神崎小学校より南西100mの場所にあったそうです。ゲンのモデルは、作者自身ですので、作者はこの場所で被爆しています。
場所については詳しく調べてらっしゃるブログがあるので、そちらをご参考にしてください。⇩

はだしのゲン』で作者が伝えたかったこと

「原爆」のことは、描きたくなかった

葛藤する心

当初、作者の中沢啓治は、原爆のことを思い出したくはありませんでした。広島の街のどこで何が起きたのか、すべて思い出せてしまうからです。
当たり前ですよね。6歳の時にこんな衝撃的な体験をし、家族も失いました。忘れたくても忘れられない情景が鮮明によみがえります。それは視覚だけでなく、嗅覚も覚えています。聴覚だって、触覚だっていろんな感覚で覚えていたことでしょう。

漫画にすることへの抵抗感

漫画は「楽しいもの」という意識があったので、なおさら嫌だったそうです。

「原爆」を描くことになったキッカケ

母親の死

なぜ、中沢啓治が「原爆」を題材にした漫画を描くようになったのか。それは、母親の死がきっかけでした。中沢啓治の母は60歳で亡くなりました。死因は、原爆症で苦しんだ末の脳出血でした。

火葬。そして・・・

母親を火葬した後、遺骨が全く残っていなかったのです。灰ばかりで、破片が転々としているだけでした。私は、今までに、火葬に立ち会ったことがありますが、骨が一切残っていない状態は見たことがありません。長年、母親の体に残っていた放射能が、母親のすべてを奪ってしまったのでしょう。
これは、『はだしのゲン』でも描かれています。(参考:中公文庫版5巻360、361ページ)

作品に込めた「怒り」

中沢啓治は、母の遺体が灰しか残っていないことに「怒り」を覚えました。母のすべてを奪った原爆に。
そして描いたのが『黒い雨にうたれて』という原爆を題材にした作品でした。その作品に「怒り」をすべて叩き込んだのです。

はだしのゲン』誕生

それからいくつかの娯楽漫画を描いたのち、『月刊少年ジャンプ』で自叙伝を描く企画になりました。一度は断ったのですが、当時の編集長に「漫画で原爆を描けるのは先生だけ」と言われ短編を描くことになります。そして、それを基に長期連載になったのが『はだしのゲン』でした。
そして、この作品が中沢啓治の最期の作品となりました。原爆症により白内障になってしまったからです。

はだしのゲン』で伝えたかったこと

何を伝えたかったのか

はだしのゲン』は何を伝えたかったのでしょうか?「反戦反核」?もちろん、それも間違いではありません。原爆や戦争への「怒り」が創作の原動力でしたからね。
ですが、作者が本当に伝えたかったのは「麦の精神」です。「え?なに?」と思われるかもしれませんが、一度読んでいただければ分かるはずです。

ゲンの父親のセリフで「ふまれても ふまれても 強くまっすぐのびる麦になれ」という言葉が何度も出てきます。これは、中沢啓治の父親がよく言っていたことなのだそうです。

「麦の精神」で強く生き抜いてほしい

厳しい冬に芽を出し、麦ふみでふまれてもしっかりとのびる麦のように、どんなにつらいことがあっても強く生き抜いてほしい。
「なにくそ」と思って歯を食いしばって負けない精神を持ってほしい。

そういうことを『はだしのゲン』で伝えたかったのです。

元 おまえたちは麦になれ

冬のあいだたえしのんで ふまれても ふまれても強くまっすぐのびる麦になれ

――中岡大吉

引用元:中公文庫版3巻32ページより

参考文献:はだしのゲンはヒロシマを忘れない
参考文献:はだしのゲン わたしの遺書

理解を深めるための資料

映像

はだしのゲン

WEB記事

書籍

『わたしの遺書』は、読書感想文にしやすいですよ!※どちらも漫画では、ありません。

まとめ

以前、爆心地を中心に広島市内を歩いたことがあります。周辺には、原爆ドーム以外にも被爆した建造物(遺構)が遺されています。
やはり、テレビなどで見聞きするよりも、実際に現地を歩いて見るのでは全く違いますね。機会があれば、ぜひ広島の街を歩いてまわってみてください。⇒被爆建物リスト

書籍の購入はこちらから

文庫本版

単行本版

[PR]漫画全巻ドットコム [PR]総合電子書籍ストア【楽天Kobo】
[PR]楽天ブックス

[PR]